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雑記

ゆるっゆるのだるんだるん。

若干疲れた状態で書いた。(趣味と生きる意味の話)



「趣味:食べること(作れないので、食べる専門です!)」


という人、いますよね。

言わないだけで、本当は他に趣味や楽しみがあるのでしょう。


もし、本当に食べることしか趣味がなければ、たぶん病みます。



今回はそんな話です。

そう考えたきっかけと、理由をつらつらと書きました。


結論はタイトルの通りです。最後の方はやさぐれるあまり極論を述べていますので、話半分に読んでくださいますよう...。





わたしは、とあるアルバイトを朝から晩までやることがあります。


いちばん長いときには、朝9時から夜22時まで。もちろん休憩はありますが、アルバイト先に13時間近く滞在することになります。


学生アルバイトですので、仕事も簡単ですし責任も軽く、人間関係も楽です。


ただ、長時間拘束されるというのはやはり疲れますね。


アルバイトだからまだしも、毎日こんな生活を強いられる社会人は大変だなぁ、と感じました。



通勤時間1時間と仮定し、社会人の生活を想像してみました。すると、

07:00起床

08:00出発

09:00仕事はじめ

22:00仕事終わり

23:00帰宅


という一日になります。



更に一人暮らしの場合、夜帰宅した後、

・ご飯(作る、食べる、片付けで所要時間1時間程度)

・洗濯物(畳む、干すで所要時間15分程度)

お風呂に入る、髪を乾かす(30分程度)


などをしなくてはなりません。


すると、あっという間に深夜1時近くになります。


社会人って、好きなことをする時間が本当にないんだな...と実感しました。



小中高、授業と部活と習い事で比較的多忙な学生ではありましたが、社会人の忙しさとは比較になりません。


よくもまあ、週6日も部活をやっていたなぁ...と思っていましたが、部活は楽しいからいいのです。

仕事は楽しくないとは言いませんが、大変です。



話はアルバイトに戻ります。


授業もあるので、毎日9時-22時ではありませんが週4-6日バイトをしていました。あるときは午前だけバイト、午後授業。あるときは朝から授業、夕方からバイトのこともあります。


そこまで大変ではないはずなのですが、課題もあったので自分の時間が殆どありませんでした。



すると何が起きたかと申しますと、食べることしか楽しみがなくなりました。



授業中もアルバイト中もアルバイト後も課題をやっているときも、「今日は何を食べようかな」「何を作ろうかな」

「あれが食べたいな」

しか考えることがありません。



ある夜のことです。

アルバイト先から駅に向かう途中、「疲れたな~」と思いながら、いつものごとく帰ったら何を食べるか考えていました。

その時、こんなことが頭に浮かびました。


「わたしは、食べるために生きているのだな」



本当は、人は生きるために食べます。だから働いて、お金を稼いでご飯を食べます。



しかし、生きる目的が食べることになりつつあるのです。


なぜ生きているのか、なぜ生きなければならないのか分からなくなってきました。



勉強もアルバイトもやりがいはあります。

しかし、時として辛いことがあったり、壁にぶつかることがあります。


そんな時、楽しみが食事だけだとしたら、どうなるでしょうか。


こりゃ、死にたくなりますね。



食事は一時的な快でしかなく、また食べたくなります。

食べて、働いて。食べて、働いて。

もし、ずっとこのような淡々とした繰り返しだとしたら、あまりに単調で飽きます。

一時的な快楽で苦痛や不安を誤魔化し続ける、終わることのない追いかけっこのような、悲しさ虚しさ徒労感を覚えることでしょう。



また、食べることは生理的欲求に基づく行為です。つまり、食べることは生きることでもあります。

すると、例えば仕事が辛くて辛くて仕方ないとき、生きることが嫌になったとき、食はわたしを充分に慰めてくれるでしょうか。

きっと不十分でしょう。


生きるのが嫌なのだから、自分を生かす行為をしたくなくなります。よって、食欲がなくなります。


空腹を感じてご飯を食べられたとしても、そのご飯がどんなに美味しかったとしても、食べてしまったらそれで終わりです。「あーあ、終わっちゃった。さて、また仕事だ...」と、悲しくなるだけです。




一人暮らしだったら、尚更食の力は弱くなります。


ご飯を作ってくれる人もおらず、食べる時は1人。

一人暮らし経験者ならご存知でしょうが、自分1人のためにご飯を作ることは、全くやりがいがないのです。


どんなに美味しいものを作っても、食べるのが自分だけだと寂しいのです。モチベーションが上がりません。毎日毎食ちゃんとしたものを作り続けることは殆ど不可能と言ってもいいでしょう。外食したり、お茶漬けや白米だけの日を作らないとやっていけません。


1人は気楽ですが、本当に孤独です。



まとめになりますが、

食や睡眠、性欲など生理的欲求は、それ自体が「生きること」であるがために、生きる目的になり得ないのでしょうね。


故に、趣味が食べること、寝ること、異性の尻を追いかけることしかない人は、もれなく皆心が満たされていないはずです。



逆に、仕事や生きることに関係ない趣味があると、人は強くなれるのではないでしょうか。



(人生をより充実させるには、3種類の趣味が必要だと聞いたことがあります。うろ覚えですが、


1つめは、主体的な趣味。スポーツ、勉強など。

2つめは、受動的な趣味。スポーツ観戦やテレビ鑑賞、映画鑑賞、読書など。

3つめは、つくる趣味。料理や絵画、工作など。


です。ご参考までに)




仕事が生きがい、ということも素晴らしいことです。ですが、仕事はやらなくてはならないものですし、老後は働こうと思っても働けません。

したがって、仕事以外に強制されない、単純に楽しめる生きがいがあるといいでしょう。


死のうと思えばいつでも死ねるのですし、どうせなら楽しく生きたいものですね。




まぁ、偉そうに生きる目的についてゴタゴタ述べましたが、無理に生きる目的を作らなくてもいいと想います。


生きる目的が云々言っている生き物は人間だけです。動物は無駄なことを考えずただ生きています。

それを「低能だ」「バカだ」「人間様は考えられる。だから偉い」とのたもう人もいますが、わたしはそう思いません。人間は珍しいだけで偉くも卑しくもありません。


「人間は考える葦である」とはよく言ったもので、力がなく弱い生き物ですから、人間は生き抜くための武器として思考力を持つのです。

しかし、それが仇となり、くよくよ考えてむしろ生きることをやめてしまうこともある。そんなか弱い生き物なのです。


かと言って、考えることが馬鹿馬鹿しいとも言いません。


何が言いたいのかと言えば、生きる目的なんてものに縛られる必要はないということです。


生きる目的なんてものは、社会で生きるための言い訳です。考えてみてください。生きるという行為そのものには、目的なんていらないのです。

人という生き物が色々考えてしまうから必要なだけです。


行為に意味付けすると満足・安心するからやっているだけなのです(中高生から「勉強なんて、やって何の意味があるの」という問いが出るのも、このため。努力が報われず虚しさを感じることが怖いからでしょう)。


「でも、意味がないとやっても意味ないじゃん!」と思いますよね。

でも、本当にそうでしょうか。


意味や理由が求められるのは、わたしたちが人間社会に生きているからです。人は物事や事象、森羅万象に名前をつけ、論理的に説明しようとします。なぜなら、その方が効率的に社会を回せるからです。



突然ですがここで、ハムスターを見てみましょう。

狭いケージの中でひたすら回し車を回しています。とっとこ走って、かわいいですね。


人はこの行動を「ケージから出られないため、本能的に運動不足を解消しようとしている」と説明していますが、本当にそうなのかはハムスターに訊かなくてはわかりません。たぶんハムスター自身もわかりません。ただ、人が勝手に考えて意味付けしているだけで、当のハムスターは難しいことなど考えていないのです。



人は効率の良さを求めるあまり、考えすぎているのではないでしょうか。

意味や理由を求めすぎてはいませんか。



試しに、まったく意味のないことをやってみて下さい。


最初は「何をやっているのだ自分!馬鹿馬鹿しい」と思うでしょうが、そのうち馬鹿馬鹿しさが癖になりますし、アホな自分が面白く思えますし、理屈から解き放たれた開放感とでハッピーになれますよ。


わたしは、意味のないことをして遊ぶのが大好きです。いい歳して縁石ブロックの上を歩いて友達に白い目で見られたり、なんとなく実験料理をしてみたり(作ったものは必ず残さず食べる)します。


これは個人的な意見ですが、子どもが楽しそうに見えるのは、変に意味を求めて行動しないからではないかと思います。それに加え、先入観や偏見がないので、大人より自由なものの見方ができることもあります。


ですので、わたしは子どものような大人でいたいな、と常々考えています。現実は、大人の姿をした子どもなのですが...。



そういえば、ニーチェが「ラクダ・獅子・子どもの要素を併せ持つ大人(超人)であれ!」的なことを言っていました。

ラクダと獅子は知りませんが、子どもの要素を捨ててはならない、と考える哲学者はいるということです。

だからなんだというと、自論の正当化です。




結論。

仕事と生理的欲求以外に趣味を持とう!辛くなったら、深く考えずシンプルに生きてみよう!



以上、就職に不安を感じている大学生の戯言でした。仕事を.....職をください.....。


実験料理日記①〜目玉焼きマヨチーズクリームパスタ〜



実験料理は一人暮らしの特権ですよね(?)。


一人暮らしならどんな変なものを作ろうと、食べるのは一人なので他人に迷惑をかけることがありません。



「残さず食べる」をモットーに、今日も楽しく実験料理!



というわけで。



今朝、起きたら、ご飯が炊けていませんでした。


それもそのはず、昨夜は炊飯ジャーにまったく触れることなく寝ましたからね。炊けているわけがありません。



なんとなく今から炊くのは面倒だし、冷蔵庫内にもろくなものがありませんし.....何を作ろう?



〇冷蔵庫にあるもの一覧

・野菜(大根人参玉ねぎキャベツ)

・卵×3

・牛乳

・美味しくないソーセージ

・プロセスチーズ(銀紙みたいなものに包まれているアレ)

・粉チーズ

・ジャム


〇冷凍庫にあるもの一覧

・氷

・保冷剤

・餅

アールグレイとプルーンのケーキ(プルーン消費に作ったもの。プルーンをミキサーで粉砕するのが大変でした...)

・おばあちゃんのおはぎ×1



〇その他食材

サッポロ一番塩ラーメン

・パスタ(ソースはない)

・すり胡麻と炒り胡麻

・わかめ

・ツナ缶

・カレーのルー




何か作れそうで、何も作れませんね...




お味噌汁とソーセージは昨日食べたので飽きました。


朝からラーメンだと、お腹を壊してしまいます。


昨日のお夕飯は白米にマルちゃんの粉末焼きそばソースを振りかけたものでしたし、今朝はちゃんとした人のご飯が食べたい...!




しかし、ブリトーにしても、スライスチーズもとろけるチーズもありません。

(ブリトーとは、小麦粉を水で溶いて、クレープ状に薄ーく焼いたもの。クレープと違い、卵が入っていません。チーズやハムなどの具と共に食べる)






そこで、パスタにしました。


なぜなら、先日見かけたこのレシピなら作れる!と、思い出したためです。イタリア語で「貧乏人」という意味を表す、「スパゲッティ・デル・ポヴェレッロ」というパスタのレシピです。(本当にそんなものがあるのかどうかは知らぬ)

https://nanapi.com/ja/120835



詳細な作り方はリンク先を参照。



〜大まかな作り方〜

目玉焼きを2つ作って、一つは飾り用に置いておき、もう一つは崩して茹でたパスタに和えます。粉チーズをたっぷり加え、塩胡椒で味を整えたらできあがり!飾り用の目玉焼きを上に乗せ、崩しながら食べます。


(朝なので、にんにくは抜き。入れればもっと美味しそう)




油はイタリアっぽく、オリーブオイルを使いました。ポイントは、混ぜる方の目玉焼きをよく崩すこと、パスタの茹で汁を少し加え水気を飛ばすことです(味がなじみます)。とっても簡単!


さっぱり味です。




しかしですね、

粉チーズを混ぜたところで味見をしてみたら、コクがないのですね。



そりゃあそうです。卵と粉チーズとオリーブオイルの味しかしないのですから。貧乏人のパスタなのだから、塩胡椒で我慢しなければ...



でも、もっと味を足したい!!!!!!





そこで、テキトーもテキトー、超絶いい加減に


①牛乳(50cc程度?もちろん計量などしていない)

②マヨネーズ(大さじ1くらい?)


をぶち込み、水気が少なくなるまで少し煮ました。





するとどうでしょう。

なんかこう、濃厚クリームパスタっぽい見た目になりました。



取っておいた目玉焼きを乗せて崩しながら食べたら、わりと美味いのです。


クリームパスタとカルボナーラの中間のようなものになりました。



これは美味い。今度はにんにく入りで作ろう。



ちなみに、写真はありません。

さっさと食べたくて、撮っている暇がありませんでした。



代わりと言っては何ですが、おまけに、先日食べたフレンチトーストの写真を載せておきます。




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そう、これがサムネ詐欺。(そのつもりはない)

ココナッツミルクを食す。



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先日、恩師(かつ友人?)である女性とカルディを訪れました。



カルディとは、コーヒーと輸入食品のお店です。駅によくある、コーヒーやワインの試飲をさせてくれるお店と言えばピンとくる方も多いのではないでしょうか。

カルディ公式↓

http://kaldi-online.com/



 

カルディって、本当に楽しいのですよ...。


スーパーに売っていないあんなものやこんなものがたくさんあるのです。輸入食品以外にも、日本のお菓子もあります。とにかく、ここで買ったものは大体美味しいので一度はご来訪することをおすすめします。


かつて恩師は、海外旅行で買い損ねたお土産をカルディで調達したそうです。そんな使い方もできちゃうカルディ、とっても便利。でも、日本語の原材料・成分表示ラベルを剥がすのが大変そうですね。言うまでもありませんが、現地調達が最善です。笑


そんな恩師がおすすめして下さったのが、ココナッツミルクです。わたしはココナッツミルクを飲んだことがないので、物は試しに買ってみました。



「何に使えばいいのでしょう?」と尋ねると、タイカレーに入れることをおすすめされました。しかし、わたしはタイカレーを作りません。



とりあえず、

ココナッツミルク+砂糖

でいただくことにしました。



缶を開けると、白くトロっとした液体が入っています。色は牛乳より黒くくすんだ白、質感はちょっと水っぽい植物性生クリーム、という感じです。


牛乳よりも脂っぽく、濃厚な感じでしょうか。


あたためた方がおいしい気がしたので、ホットにしました。



以下は手順です。




片手鍋(雪平鍋)に入れます。


缶の底に脂肪分が固まってくっついていたので、こそげ落としてお鍋に入れます。


それから、お砂糖をドボンです。自分が満足する甘さになるまで、フィーリングで入れました。たぶん、入れすぎましたね...。


それから火にかけ、脂肪分がおよそ溶け、沸騰する前に下ろしました。




はい。ホットココナッツミルク(ストレート)の完成。

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写真だと牛乳のように見えるのですが、実物は少し黒(青?)っぽいです。



お味は濃厚、ココナッツミルク独特の甘い風味がします。そして、佐藤が甘い。やはり、砂糖を入れすぎだね...。


舌触りはプリンの原液(固める前)が近いような...。

どのくらい濃厚かというと、牛乳よりもずっと濃厚です。やはり。植物性生クリームのような感じてす。



美味しかったのですが、250ccを1度に飲んだら、気持ちが悪くなりました...。やはり脂肪分が多い!!!糖分入れすぎ!


たぶんこれ、牛乳で割って飲むヤツだ...生クリームをそのまま飲んでいるような心地がした...わたしゃあほか...




ちなみに、残りの150ccは卵と砂糖と混ぜてプリンにしてみました。最初、バニラエッセンスを入れなかったところ、少したまごくさかったので途中で投入。ココナッツミルクといえど、ココナッツの香りはそこまで強くありません。あとで食べる予定。嫌な予感がするな...笑