雑記

ゆるっゆるのだるんだるん。

最近読んだ動物の記事まとめ


最近気になった動物の記事です。2つ。



ネコは自ら家畜化した、遺伝子ほぼ不変、最新研究(ナショナルジオグラフィック日本版)

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/062100235/?ST=m_news


ネコは自由な生き物ですから、そこまで驚きはしませんでした。でも、すごいですね...。ヒトや他の生き物の遺伝子と比べ、どのくらい不変なのかも知りたいところ。


「ネコはありのままで完璧だった」というような記述もありますが、それはどうなのでしょうねぇ...。

確かに、ネコは何かを超越しているような悠然とした態度で寝ています。悟ったような顔をして、高いところから人を俯瞰します。人間の想像を越える何かを持っていそうだと感じることがあります。

よく怖いと思うのは、ネコが何も無い空間をじっと見つめる時です...。何かが見えるのだろうか。

しかし、完璧なら車に轢かれるという事態にならないような気がします。


ところで、ぶち模様のネコって、最近になって現れたのですね。ちなみにわたしはどんな模様のネコも好きですが、黒猫や白猫、黄色とオレンジのトラちゃんが好きです。




イヌやネコはなぜ死んだ飼い主を食べるのか(ナショナルジオグラフィック日本版)

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/062700244/?ST=m_news


衝撃的な記事ですね。

食料がないならまだしも、ご飯があるのに飼い主を食べてしまう、とは...。しかも、野生の生き物がヒトの胸や腹を食べることに対し、ペットは顔を食べるというのは、いかに...。やはり、ペットだからこそ、飼い主の顔に何か思いがあるのかもしれませんね。


記事の言うように、助けようとして顔を舐める→反応しないことにパニックを起こし噛み付いてしまう→血肉の味がする→野生が呼び起こされ食べてしまう、という説が有力なのでしょうか。

イヌはそうかもしれませんが、ネコはどうでしょう...。飼い主を助けようなんて意志があるのでしょうか笑


イヌ、ネコ、ハムスターまでヒトを食べるのですから、ヒトには毒がありそうだと思っていたのですが(ヒトの女性、子どもがヒトを食べるとクールー病を発症する。脳が狂牛病のごとく海綿状になる)、動物にとって食料になりうるのですね。


動物がヒトを食べること自体は驚くことでも珍しいことでもないし、動物を批判することでとないと思います。

ただ、この記事を読んで、動物と衣食住をともにするならば、「ポチになら何をされても、ポチが死ぬか私が死ぬまで、生活を共にする」くらいの覚悟でいた方がいいかもな、と思いました。安易な気持ちで生き物を苦しめたり、ヒトの都合だけで振り回すのはよくないことはもちろん、他種族の生き物との共存は簡単ではありませんからね。生半可な気持ちで動物を飼ってはいけないと思います。


ヒトは同種同士ですら争いますからね。他種となれば、それなりの知識と覚悟が必要なのではないでしょうか。



ペットや家畜という存在に対して、疑問を抱くことは多々あります。人間ってすごく偉そうにしているけれど、何様なんだろうと感じることがあります。(ペットという言い方ですと、ヒトが生き物をやや下に見ている感じが気になるので、自分の家のペットは家族とみなすことにしています)


しかし、個人的には、ヒトにとってペットは必要なのではないかと思います。ペットに限らず、ヒトは動物を知ることで自分自身を知ることもあります。それに、敵対関係でなければ癒しとなりますしね。






ニュース記事への感想(死体農場)




夏らしい気候になってまいりました。

夏。ゴミが腐りやすく、臭くなる季節ですね。



さて、こんな記事を見つけました。国内では遅くとも、2017年5月にはネット上でささやかな話題になっていた様子ですね。


「死体農場(ボディファーム)」についてです。

※URL先は刺激的な内容を含みますので、18歳未満の閲覧は禁止、閲覧の際は個人の責任の上行ってください。http://tocana.jp/i/2016/02/post_8855_entry.html




ソフトに解説すると、アメリカ合衆国テキサス州に、「死体農場」という、死体が朽ち果てる過程を研究する施設があるといいます。

法医人類学や警察犬やレスキュー犬の訓練など、社会的な役割を果たすようです。確かに、鑑識や解剖に役立ちますよね。正確な犯人の特定に繋がりそうですし、冤罪も減るかもしれない、とのこと。



率直な感想、わりとびっくりしました。そんな漫画みたいなものがあるのだなぁ、と。

アメリカだからなせる技なのでしょうね。他国でもやりたい!という動きはあれど、法的にできないのだそうです。



検体も多く、希望者も多いそうです。本人や遺族が死後も社会の役に立つことを望み貢献する場合や、葬式代を浮かせたい場合など色々あるようですねー。



少なからず社会的役割を果たす「死体農場」。

しかし、一昔前ならば、宗教上の規則や厳しい道徳観により、このような施設は実現しなかったことでしょう。今もまだ「人の尊い亡骸をいじるなど、死者の冒涜だ!」という考えはありますが、死体農場ができちゃうほどに、世界は急速に変化しているのですね。



死体を野ざらしにする、ということに、ショックを受ける人もいることでしょう。

しかし、日本で現在のような葬送を行うようになったのは比較的最近のようです。当然、死体処理も文化ですからね。お墓の形やお盆の行い方も各地方で異なるという話は有名です。

(沖縄のお墓は亀甲墓、琉球墓と言って家のような形をしている。大きい。また、どこなのかは忘れたが、お盆にお墓の横でレジャーシートを敷いて親族で集まったり、お墓で花火をしたりする地域があるとか。葬送文化はおもしろい。)



豪族や貴族は古墳時代やそれ以前から遺体を埋葬する文化がありましたが、庶民が埋葬するようになったのは室町くらいになってからだ、という話を聞いたことがあります。

庶民の生活の記録は少なくはっきりとしたことはわかりませんが、『方丈記』やら『餓鬼草子』などの様子から当時の様子を窺うことができます。


では、埋葬しなければ何かといいますと、風葬が多かったようです。庶民は死体置き場が決まっていて、そこに遺族が死体を捨てに行くのだとか...。


確固とした根拠はありませんが、個人的には風葬火葬土葬水葬鳥葬、色々やっていたのかもしれないなと思います。



死体の放置といえば、九相(想)観ですね。

九相観とは、仏教における修行です。

屋外に放置された死体(特に美女、僧にとって煩悩の原因となるため)が朽ち果てていく様を見ることで、人の不浄さや無常さ、人の儚さなどを目の当たりにすることになります。そして、「女だって死ねば腐るし獣に食い荒らされる。これが、お前が惑わされているものの末路なんだ...こんなに人は汚いのだ.....」と思わせる修行です。少なくとも奈良時代には日本に伝わっていた考えなのだそうですね。

一時的に性欲が減退するかもしれませんが、果たして修行になるのでしょうか。それにしても、いつだって人を惑わせるのは性や愛欲なのですね。


また、「九相図」という仏教絵画は九相観を基に.死体の果てる様子を九段階にわけ描いたものです。鎌倉〜江戸に制作されたそうです。

ということは、この絵画が登場する鎌倉以前は「野ざらしにした死体はそう珍しいものではない」という文化だったのかもしれませんね。




近代化したこのご時世だからこそ、死体を野ざらしにするなんてありえない...と衝撃を受けたり、逆にグロテスクな物事に惹かれたりする人がいますが、グロテスクな世界は遠いようで意外と身近なのでしょう。いや、生きていればいつかは死ぬのですから、全く遠くなどではないのでしょう。



クリーンな社会で育ってしまったので、グロテスクなものは極力見たくないのが本心です。しかし、生きているということそれ自体グロテスクで、現代人はその事実から目を背けているだけ、なのかも、ですね.....。




さて、最後に死体農場の話に戻ります。

死体農場で色々な死体を放置してみて、わかったことが色々あるようです。


たとえば、鹿もミネラル不足になると人の骨を齧る、や、ハゲワシは最初に目玉を食べる、などです。


鳥って、人の目玉をつつきたがりますよね。わたしは勝手に、眼球は光るから気になるのかな?と思っていましたが、つつくだけじゃなく食べるということは、眼球が好きなのでしょうな。なぜだ.....なぜなのだ鳥さん.....。



そういえば、腐ったものを食べるハゲワシやウジなどの生き物は、お腹を壊さないのだろうか...?


わからないことがたくさんありますね...。




〇参考

日本の葬送文化についての最おすすめ→https://soudan1.biglobe.ne.jp/qa764973.html

↓その他もろもろ。

http://japanese.hix05.com/Folklore/Burial/burial09.gaki.html

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%84%E3%81%90%E3%82%89_%E5%BA%B6%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%9F%8B%E8%91%AC

http://www.seijo.ac.jp/education/falit-grad-school/jp-antholopology/academic-journals/jtmo42000000675u-att/jpn-040-02.pdf


仮にハムスターに「源一郎」という名前を付けたら、なんかおもしろい気がする。



かの有名なモデル、女優のローラ、


の、飼い猫に「だんごむし」という子がいます。



ある日、ローラのInstagramに投稿された動画を観ていた時のことです。


動画内で、ローラが飼い猫に、いつものあの陽気な調子でこう呼び掛けます。


「だんごむし、行ってくるね〜」



お?

だんごむし?


ハリウッド・デビューしたモデルさんの猫が、だんごむし??



調べてみたら、本当に「だんごむしちゃん」なのだそうです。思わず笑ってしまいました。



こういうギャップを感じさせるネーミング、最近よくありますよね。


例えば、

例①オウムに「インコちゃん」(別種の動物)

例②猫に「ポチ」「チロ」(通例犬に付る名前)

例③ハムスターに「源一郎」(通例人に付ける名前)

なんてどうでしょう。


なんとも言えないむず痒さと、ユーモアを感じてくすっと笑ってしまいそうになります。



ある動物(Aとする)に、別の動物(B。Aと違う種類)の名前をつけて可愛がっている状況に対し、なんとも言えないむず痒さとユーモアを感じるこの現象、なんだろう。



わたしはふと疑問を抱きました。

なぜ、これを面白いと感じるのだろう?


.....

わからん!!!!




ここで肝心なのは、「面白い、ユーモア」だと感じるにはいくつか条件があることです。


例えば、

①きちんとその動物を可愛がっていること。

②突拍子もない名前を付ければ面白いというわけではない。

③かと言って、類似しすぎていると普通。

(個人調べ)



①に関して。

変な名前をつけて、そのペットにご飯をやらず放置していたら何も笑えませんし、それどころかけしからんことです。「何がインコちゃんだ、ふざけんな!」と感じてしまいそうですよね。


②に関して。

すみだ水族館に「わっしょい」も名付けられたペンギンちゃんがいるのですが、ここまでくると「まじかよ(苦笑)」という感想を抱きます。

動物同士の名前を借り合うとユーモアに感じるけれど、なんの関連性もない感動詞(わっしょい)だと、変わっている名前だとは思いますがユーモアではないように感じますね。


では、

鷹に「ピヨちゃん」(小鳥の鳴き声の擬音語)

と名付けたらどうでしょう。なんだか、例の「むずがユーモア」を感じませんか?「いや、鷹だから!そんな可愛くないから!むしろかっこいい系だから!」と、ツッコミたくなる心温まるネーミングではないでしょうか。


今度、鷹を飼ったらピヨちゃんっていう名前にしよ!!


一方、③。

虎模様の猫ちゃんに「タイガー」と名付けたり、鷹に「フェニックス(不死鳥)」と名付けても、「かっこいい名前だな!」「ビッグになってほしい、という願いを込めた名前なのかな?」と感じるだけで、ユーモアを感じることはないのです。


もしかして、「むずがユーモア」は、

A(名付けられる動物)とB(名付け元の動物)との間に、ある程度の類似とある程度のギャップ・ズレがないと成立しないのか.....?


これ、何気なくやってる人もいるけれど、かなり高度なユーモアなのでは.....?



おそるべし、むずがユーモア。



というか、そもそも名付け自体が難しいことですよね。 

むずがユーモアという名前ではセンスがないので、何かそれっぽいかっこいい名前を募集したいものです。